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今この瞬間の過ごし方の自由

2017年6月14日[ケヤキの見える窓辺]

人は「生きた時間」というものを知っていてなるだけ長くこの生きた時間の中で過ごしたいと願う。時間は生命が選択の自由に直面するとき、眠りから醒めるというのは物理学者の渡辺慧の言葉であるが限りある人生を誰しも有意義に過ごそうと思うことは自然である。

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冒頭から固い話になりましたが家づくりにおいて大切なポイントです。自らの日常の生活を振り返ってみるとほとんどがこの過ごし方の選択の自由に直面することなくやり過ごしていることに気付く。定職についているならなおさらのこと。少なくともその場に居合わせることができるのは日常では帰宅してからや休日である。つまり場としては家が大切であることがわかる。

 

日常生活の中では自分を取り戻す場として家は重要だ。家づくりにおいて何の工夫もなく必要なスペースを確保しさえすればこの場を確保できると思われ勝ちだがそんなに物事は簡単にはいかない。家に帰れば家庭での日常が待っていてそれをうまくこなしながら自らの時間を取り戻さねばならない。場合によっては家族とのたわいない会話の中でそのきっかけをつかむかもしれないし、その延長で自然に自らの時間に入って行けるかもしれない。

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家庭での日常がスムーズにやり過ごせないなら自らの趣味の世界にもスムーズに入っていけないことは経験上わかっている。やはり家に居れば家庭の空気の中で自らを取り戻すことが大切になる。日常の流れと断絶して個室に逃げ込んで自らの趣味に一時的に没頭するにしてもそれは果たして生きた時間を過ごすことになるのだろうか?家庭での大切なことは日常の流れの中で身を任せながら自らの生きた時間を過ごすことである。

 

四六時中日常の流れを意識する必要はない。日常の流れに逆らうことなく自然に身を任せることが重要だ。そのため家の中で家族の気配を感じられるよう工夫する必要がある。たとえ個室にこもろうとも家族と断絶することなく互いの気配をそっと感じられる工夫が必要である。単に所要のスペースを割り振れば家づくりが完成という簡単なことではない。家づくりにおいて、この辺りがもっとも微妙で難しいところである。

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家内部の空間構成や外部環境との折り合いの付け方なども含めて家族それぞれの日常ともうまくマッチングしなければならない。それとなく家族のつながりを感じさせながら互いのプライバシーにもそっと配慮でき、互いを尊重し合え、さらにその中で自らの時間も確保できるよう工夫することがポイントとなる。

 

同じ屋根の下に棲んでいるだけで家族がばらばらという例が少なからずあり、社会にとって決してよい影響を与えるものではないことは私たちはたびたび学んでいることである。

※ 写真は西表島のマングローブなど

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