これでよいのか—今の家づくり
2018年1月27日[ケヤキの見える窓辺]
寒い毎日が続きます。冬に暖房は欠かすことができないのは当たり前のことです。でも暖房という言葉はかつてわが国にはありませんでした。ご存じの方もいらっしゃると思いますが「房」とは部屋のことです。暖房とは部屋全体を一律に暖めるということを指します。
この考えは欧米から導入された考えです。
我が国にあったのは「採暖」という考えで字の通り「暖」を「採る」ということで、焚火で体を温めたり、囲炉裏の傍に座って暖を採ったり、火鉢を体の傍において体を温めたりすることでした。
暖房が成立するには開口部が小さいこと、高い気密性があること、また外壁の断熱性能が高いことなどがひつようでした。一昔前までのわが国の標準的な家を考えてみると冬の最中でもすっと寒風が通るぐらい気密の無い家であった。そんな環境では部屋全体を一律に温めるという考えが生まれてくるはずはなかった。賢明な日本人は最少の燃料で自ら最大の暖かさを得るために自分の身近な場所で炭や薪を焚いた。
家族はその火の回りに自然に集まり暖を採った。火を見つめながら話をしたり、温かい飲み物を飲んだり、もちなどを焼いたりして団らんをとるのが一般的であった。また直接日に接しなくても掘りごたつを設けて家族が集まり団らんをとることが普通であった。キャンプファイヤーのように火を焚いてみんなで集まるのはなぜかわたしたたはリラックスできるのを覚える。
現在ではひたすら気密性をよくし、断熱性能を上げ省エネエアコンの駆使してエネルギー効率を上げる家づくりが主流であるがちょっとここで考えてみよう。
部屋全体を暖めるのは確かに活動的になるが昔のように暖を採る為に火元に集まるということのメリットはなくなった。また火を見つめるということは私たち祖先からのDNAであり、私たちもそうすることにより日常から解放されリラックスするのを覚える。火を見つめながらの家族との何気ない会話も自然でなぜか安心を覚える。
最近の家づくりの中で何か大切なことを見落としているのではないだろうか?高気密な窓はそれなりに便利だが、家中で火を焚いたり、その周りでもちを焼いたりすることはできなくなった。家中では火を眺めることもできない。七輪の廻りで家族が集まり火をくべて暖を採り、もちを焼いたりして食べたりの団らんを楽しむということはできなくなった。
確かに今より寒かったが今よりもっと豊かではなかったか?
※ 写真は家内の作品