人はなぜ家に住むのか
2018年5月19日[ケヤキの見える窓辺]
私たちの身の廻りを眺めてもほとんどの人が家に住んでいる。ただ雨風と寒さ暑さを凌げればよいという思いや自分の居場所を確保し充実した生活を営みたいなど様々な思いを受け止める場が必要としているからである。さらに経済面、家族、仕事、教育、子育て、通勤・・・など様々な観点から検討してマイホームを実現しようとする。
私のような年齢になると我が家が一番である。大人になるまで長年過ごした実家よりはもう30年もの間住み慣れた我が家に戻ると本当にほっとする。その家中でもそれぞれの過ごし方がありその場その場で特長がある。食事をする場、食後家族と歓談する場、寝る場など様々な場=空間が存在する。これらの場が自らの過ごした時間とともに心身に同化し、馴染んでくる。その場にいればホットできる場が形成される。
私たちは時間と共に変化する人生を歩むが家はほとんどの場合造られた当初と変わりがない。その人生の変化に合わせてリフォームすることもある。外部環境だって建てたときに比べて変化することが多い。当初緑の多い静かな住宅街で合ったものが交通量が増加して騒音に悩まされたり、予想できなかった隣近所の生活により自分の生活が乱されることもある。そんなこともあるのに人は住処を求めて家づくりを行う。
家づくりにおいて大切なことはなんだろう? 現在と未来を予想しながら様々な要素を考えて行きつ戻りつを繰り返しながら決断する。決断しないと家は建てられない。この過程の中でいままで気付かなかった発見もあり、また新たな要求も出てくることが多い。家づくりとは自らの人生を見つめ直し、生き方を再確認し更新していくいい機会であると思う。その過程こそが最も大切なことなのではないだろうか?マイホームを求めるとき何かに追われて決断を急がされる場合が多いがこの過程を十分経ないで決めさせられてしまうことの方が多いのではないだろうか?
家は高い買い物である。トラブルの相談に来られる方の多くは家づくりにおいて必要な過程を十分経ないで高価な買い物をされている。スーパーで1円でも安いものを買うのに奔走しているのに家という大多数の方が人生で一度きりの高い買い物にすぐ契約書に印を押してしまう。
家づくりのお手伝いを生業としている私からみれば奇異な現象として映る。私たちがお手伝いする場合形になるまで相当な時間を必要とする。大体は設計だけで1年ぐらいかかるのが普通です。これぐらいの時間をかけて様々なことを検討して形にしていくのが家づくりの姿ではないだろうか。人間は弱い生き物である。家づくりに必要が過程を理解していても目の前に現実の家が現れると心を奪われ、大切な過程のことを忘れ、契約することに追い立てられるのだろうか?このようなときにも現実の物件について専門家のアドバイスは必須である。大切なことは自分の味方となってアドバイスをする専門家である。ほとんどの場合アドバイスをするのは売る側の専門家である。大切な過程を向き合う余裕がない場合もあると思うが少なくとも自分の味方となる専門家を確保することを忘れないで欲しい。
※ 写真は天平の甍風景