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現代住宅は強者の家だけでよいのか?

2015年3月7日[ケヤキの見える窓辺]

現在の日本の住宅は外界から隔絶した空間を作ることにより快適さを得ようとする。冬は熱を逃さず、夏は冷房に頼る。そのため気密性の高い住宅ができる。

 

言い換えれば「外のことを気にせず」自ら快適に暮らすことを追求する現代住宅は強者の住宅といえる。これは常に外敵の侵入を意識して作られてきた欧米の住宅に似通う。

 

しかし、かつてわが国には侵略者がいない、助け合うコミュニティが作り出した弱者の家が多数存在していた。過去形で表現したのは現在では弱者の家は新たに作られることはほとんどなく、消えていく運命にある。

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現代社会が抱える課題を考えるとき私にはこの強者の家づくりにも問題があるのではないかと疑う。強者の家で育つ子供のことを考えると必ず用意される子供部屋は夏は窓を閉め切って冷房に、冬も熱を逃さぬために窓を閉める。一年の半分近くは窓を閉め切ったまま快適に暮らすことに慣れてしまう。つまり外のことを気にせず快適に暮らしてしまう。

 

ここに大きな問題点があるのではないだろうか?たとえ暑い夏でも窓外の軒に吊るした風鈴の音に耳を澄ませて寒さをしのいだり、日差しを遮る為にすだれをつるし、夏の季節風を入れるなどの工夫や工夫して快適さを得ることの楽しみを放棄して自ら閉じこもって得られる快適さに甘んじる姿がある。線香花火の匂いや、煙、夏祭りのざわめきなど外から入ってくる情報を遮断してしまう。

 

外部環境も巻き込んだ豊かな世界があるのに自らの殻に閉じこもって下界から隔絶した密閉空間に閉じこもろうとする。

 

われわれの文明が発明し、発展させてきた様々な機能品—高気密サッシ、窓用シャッター、高気密住宅=省エネ住宅、省エネエアコンなどこうした延長線上にある。

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とはいえわれわれは逆戻りの家づくりはできない。しかし真の強者は弱者にも十分心配りができるはずだ。強者の家に住みながらも自らの欠点を十分に認識して他者への配慮も怠らない生活を実現することが大切だと思う。

 

そのために私は家づくりにおいては窓廻りの工夫が大切だと信じている。家の中で唯一外界と通じている窓廻りのデザインは工夫次第で外部ともつながった多様で豊かな重層した生活を楽しむ装置にかえることができると信じる。

 

かつてわが国は窓を間戸と表現され、開けていることが常態であったことは忘れてはならないと思う。

※写真は海津大崎の遠望

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