建材についてあえて苦言を呈します
2014年7月11日[お知らせ]
一般に住宅などの外壁に使われている新建材について私は個人的な不満の意見を述べてきた。タイル張や石貼り、レンガ張に似せたものや吹付タイルなどに似せたものまである。
不満の理由は建材そのものの存在が似せたものとは別の材料になっていて、存在感そのものが薄れていることである。私たちは長い年月をかけて石やタイル、レンガなどを建物の外壁に用いてきた。それらの材料の特性を理解し、幾多の失敗を重ねて施工方法を工夫してきた。また時間をかけてその材料の経年変化の特性や美しさをみてきた。
現在使われているタイルやレンガなども人類が発明したものです。その当時は新建材になるのは間違いないですが、現在の形になるまで人間と材料との長い時間をかけた対話を通じて現在の形になっています。材質だけでなくわれわれの感性との長い対話を経ています。このことがわれわれのその材料への愛着を育んできたことは間違いないでしょう。
私は比較的歴史の浅いアルミ材料も好きですがそれは私の体験によるものです。たとえば外壁に使われたアルミの波板ですが、朝陽に輝いたアルミ波板を自らの目で見てその美しさに圧倒させられたからです。その清新さにはっとさせられたのです。工業製品ももつ比類のない美しさです。
しかし通勤途中に目にするハウスメーカーや工務店の家はこのような感覚を得たことは一度もありません。材料からわれわれの感性に働きかけるものがないのです。工期を短縮するためや職人さんの技量の違いをならすために開発された材料は長い年月をかけた人との対話もなく、施工方法も簡単で楽(早い)ということでボード状のものを躯体に取り付けるという工法しかない。職人自らの感性をもとに施工を考える余地はほとんどない。あっても柄合わせや目地の取り方ぐらいだ。
さて、ガラスも発明されてから数千年を経過する建築材料ですが、様々な機能をもった新建材として開発されています。「ガイアの夜明け」で放送されていましたが何千年もかけてガラスの材料としての地位は人との対話の中で確立されさらに進化し続けています。このような流れの中にある建材と先に述べた新建材とは比較するべくもないと思う。我が国の一つの企業の中での判断で短期間で開発され、人との対話もほとんどなく採用していく過程は建材の長い歴史から眺めると刹那の一瞬で消えゆく泡のような存在であることがわかる。
世の中が泡であふれ、その下の真の姿が隠されている。みんなで泡を弾き飛ばして本来の姿を見るべき時がきているのではないだろうか。
家内がダフィーちゃんの服をつくってあげた。似合っているでしょう!