1日1日と 暮らしてゆく家
2014年4月9日[ケヤキの見える窓辺]
世間では終の棲家とよく言われるが、私は1日1日を暮してゆく家づくりが大切だと思う。1日1日の暮らしの延長に結果的には終の棲家となることが望ましいと思っている。
1日1日を暮らす家と一生を暮らす家とは大きく異なる。われわれは死を限りと思えば1日をうかうかと過ごしてしまう。死ぬまでには何とかなるよと思い、ついうかうかと過ごしてしまう生物なのだ。
1日1日をよく暮らす家づくりが重要だ。われわれは四季のある豊かな国土に住まわせてもらっている。その1日1日は変化にとんでいるはずだ。われわれの1日の暮らしも本来、自然と同じように変化に富んだ豊かなものであるはずだ。
たとえば窓もただ単に開口部にとどまらず窓を含めた空間を窓廻りとして工夫して窓辺にまで高める必要がある。窓辺は人が佇むと外部空間と内部空間が自分を介して繋がれ、人はときには外部を、時には内部を、時には同時に内外部の真っただ中に居たりする。それは人をリラックスさせる。
窓辺にはベンチやカウンターの役割をする装置を置いてよい。あるときは座ったり、寝そべったり、あるときは自分の気に入った飾り物を置いて自然の移ろいを楽しんだりするのもよい。
朝は野鳥の声を聞いたり、日の出を楽しんだり、ひんやりした新鮮な空気を肌一杯感じるのも素敵だと思う。朝の涼風もなんと素敵なことか。今は十分楽しむことが少なくなったトワイライトタイムを窓辺で楽しむのはいかがでしょうか。内外部を遮断した密閉空間では決して感じることはない。鈍化した五感を磨き、1日をリセットするのだ。
真っ白な天井も時間と共に淡いグレイから徐々に変化して深まったグレイに染まったりするのは楽しい。また淡いグレイ色に徐々に淡いオレンジ色に染まってくる朝方も素敵だ。
どれだけの省エネ効果があるとか、断熱性能はいくらか、気密性能は・・・・本当に自分にとって大切なことは何かを忘れさせるだけだと思う。
※写真は家内の陶芸作品に雑花を生けたもの