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何かを忘れている 現代の家づくり

2015年10月31日[ケヤキの見える窓辺]

インドの都市部や中国の北京では尋常でない空気の汚染が報道されている。私たちの国でもそれほどひどくはないが都市部を中心に環境が悪化しているのは肌で感じている。しかし、都心部でも自然が残る比較的良好な住宅地もあることも承知している。

 

悪化した外部環境で家を造るには閉ざす家は仕方ないと思う。また省エネや人工的な清潔空間を維持するのは閉じた家が有利であることはいうまでもない。

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私が問題だと思うのは都心部でも比較的良好な環境にあるのに画一的に閉じた家が流行していることである。我が国の伝統的な手法—自然とうまく折り合って自らの暮らし合った家づくりをする—ということが忘れられている。安くてきれいで便利を基準に開発された家を建てる。われわれがもつ多様な価値観に対応できる器になっていない。風土にも周囲の環境にも合わす発想の無い家は時と共に一方的にみすぼらしくなっていくだけである。一方伝統的な考えにもとづいた家は時と共に風合いを増してゆく。

 

古い街並みを訪れた時のあの安堵感はここからきていると思う。安くてきれいで便利を基準に建てられた住宅街からは決してこの安堵感は生まれない。

 

風土にも周囲環境にも馴染んだ、自分の生き方に合った住まいづくりが今一番不足していると思う。それが街並みのみすぼらしさを助長しているとみる。

 

省エネや防犯など重視するあまり何か大切なことを忘れている。省エネ、省エネというあまり、我が国は四季があり、比較的長い中間期を快適に暮らすことを忘れている。省エネはデジタルな数値で表されることが多い。しかし数値で表す状態は数値で表すことができる状態しかない。私たちの多様な暮らし方のほんの一部をとって数値化し競っているに過ぎないことを忘れてはいけない。。

 CIMG0688

私たちの生きてきた経験から数値で表されるものなどほとんどとるに足らないものと十分ん理解しているはずなのにいざ数値で出されると金科玉条のようにしたがってしまう。

 

昔の家は玄関だけでなく勝手口や縁側など外へ向かって複数の開口部があり、付き合いの種類や深さで使い分けしていた。今のマンションでは玄関は一つ、便利で安全tもえいるが、そこを破られたらおしまい。近所の人が目を配ってくれる付き合いもない。

 

私たち一生を過ごす家は多いが、私たちが一日一日を暮らす家は本当に少ない。

※写真は家内の陶芸作品

 

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