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幸せに通じるゆとり

2015年1月31日[ケヤキの見える窓辺]

若いころ読んだ本の中にこういう一節があった。それは「時は、生命が選択の自由に直面するとき、眠りから醒める」というものである。私たちは時間の中に生きている生物だがそうでないと感じるときがある。

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たとえば暑い夏に日には窓を閉めて迷わずクーラーをつける生活に慣れてしまっているがはたして幸せといえるかという疑問がわく。クーラーのない昔は先人たちは視角や聴覚の助けを借りて夏の暑さに耐える工夫をしてきた。川のせせらぎの音、水琴窟の残響音、遠くに聞こえる金魚売りの声など過ごし難い真夏の暑さを和らげるために求めた。風鈴の澄んだ音色も懐かしい。

 

今の家づくりの中では便利さと快適さを第一とされているがそんな中でも音を楽しむ心のゆとりは持ち続けたいものだ。

 

夏の暑さに対しては気密性の高い窓と暑さをシャットアウトする断熱材と省エネのクーラーを設置するのが常識になっているが、いざ暑さ対策に他の選択をしようにもまったく自由がないのに気付く。窓を閉めてクーラーをつけるしか選択肢がない家がほとんどではないだろうか。DSCF5208

 

窓外には虫よけの薬剤は吊るしても風鈴を吊るして暑さを凌ごうとする家は少なくなった。

以前JRの天王寺駅には夏がくるとたくさんの風鈴を吊るし、駅の利用客には涼感のプレゼントがあったがいつのまにか無くなってしまった。

 

私の自宅脇には人工のせせらぎが設けられせせらぎ音を楽しむことができる。またそのせせらぎの水流によって家の周囲の温度が下げられているような感じもする。せせらぎ音によって昼寝も快適になる。

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家づくりにおいて最も大切なことは、そこに住まわれる人の幸せが自らが便利に生活でき快適に過ごされることだけでなく、そこに住むものが互いに人間として尊重しあい、ゆるやかなつながりを感じ、個々の生きていくどの瞬間瞬間において選択の自由に直面して自らが幸せと感じる方法を選べる自由のある家ではないだろうか。

 

 

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