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なぜかしっくりこない街並み

2014年12月8日[ケヤキの見える窓辺]

古民家が連なる街並み、景観を見るツアーが根強い人気だ。外国だけでなくわが国の伝統的な街並みを体験するツアーが密かな人気を集めている。古都の京都や奈良のみならず地方にも集落や武家屋敷や昔栄えた港町や棚田など個性豊かな景観があり魅力が一杯だ。

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なぜわれわれはそうしたものに魅かれるのだろうか?統一された街並みに魅かれるのだるうか?確かに棚田はそういうことがあるかも知れないがそうでもないように思う。たとえば小樽は運河もあるが市中の通りに建つ建物はデザインもばらばらである。函館もしかりでどれ一つ同じデザインはないと思われるぐらいに個性豊かだ。

 

われわれの身近な街並みはどうだろうか?私の通勤途中には新建材で構成された新しい住宅や古民家を建替えた家や古民家が混在する一角がある。新しく建替えた家も従来の方式(瓦屋根と焼き杉や漆喰などを使ったもの)で再現しているものもあるが新建材で構成されたものもある。

 

家としてしっくりこないのはこの新建材で構成された新しい家である。その原因を考えて見ると外壁などに使われている新建材そのものからくる違和感がまず挙げられる。またこういう家に限って窓用シャッターを設置している。これらのものは開発されて間もないものだ。古民家や小樽の建物も建築された当時は新建築であるが何かが違うのだ。

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そういえば魅力ある古い街並みに建つ建物は私たちが馴染みのある材料で構成され、時と共に熟成され味のある雰囲気を醸し出しているのに気付く。確かにガラスやレンガ、漆喰など始まりは新建材であるに違いない。しかし十分な時をかけてわれわれとの対話を重ねて今に残っているものだ。一方現代住宅に使われることが多い新建材は便利、簡単、早いをモットーに開発されたものがほとんどである。それに加えて材質感がしっくりこない。タイルに似せたもの、左官仕上げに似せたもの、レンガ調のものなどさまざまなものがあるが似せるものとは全く別物になっている。

 

私たちが建材にしっくり感じるのは、まずわれわれがその材料を愛し、時を重ねて眺たり、触ったり、その使い方を改良したりしその材料の生かし方を工夫し長らく愛着をもって付き合ってきた。てきた。しかし昨今のいわゆる新建材はまず愛着がわかないし、なにか得たいの知れない感じがする。本物ではない感じがする。加えて、窓用シャッターのような新しい装置をなんの躊躇もせず設置し新建材とシャッターだけがやたらと目立つ建物になっている。これらのものは時の洗礼を受けていないのでわれわれがしっくりこない原因になっているのではないか。

 

窓用シャッターなどすべてが悪いと言っているのではない。その設置の仕方に問題があると思う。時の洗練を十分に受けた馴染のある建材が主であれば違和感は和らぐと思う。

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