個性より個別性を大切にする家づくり
2014年8月23日[ケヤキの見える窓辺]
「個性という言葉は気をつけないといけない」と人生の先輩は教えてくれた。「個性とはしょせん貧しいものだ」とも教えられた。
世に「個性」という言葉は溢れ「個性」を唱えるほど没個性になっていくのを感じるのは私だけだろうか。「個性豊かな家」や「個を大切にする家」などの言葉が溢れ、消費者は知らず知らずのうちにその宣伝に乗せられ「自らの個性」を忘れて業界の唱える個性に踊らされる。
家というものは人の生死病死の必然にも匹敵するものだと私は思う。
人の生涯を大きな目で見れば大差はないものに違いない。根本では同じ必然に支配されるがそれでもそれぞれ個別の事情はあり、生涯の事情もあれば結果として生涯のものとなった事情もある。人生の必然の全体から見ればわずかな個別だが、そこから人それぞれの、他人とは取り換えも、取り交わしもできない苦はくる。あるいは喜びもそこに由来するかも知れない。他から奪われるわけにはいかないものだと作家の古井由吉氏は述べておられる。
「個性」という言葉より私は「個別性」という言葉を大切にする。「自らの個別性」は人それぞれ事情があり、他人とは異なるものだ。家づくりの相談に来られる方には「個性」より「その人の個別性」をもとに設計をまとめていく。私は以前にもブログで述べているように建築設計を自らの自己表現の場として考えたことは一度もない。「個別性」をもとにまとめていく過程を重んじる。その結果について人がどう評価することにはあまり関心がない。
人は生きていること自体もうそれぞれの事情があり個別性はもっておられる。それを大切に、忠実にまとめていくのが家づくりなのではないか。
それぞれの人がもつ個別性に比べたら建築家の自己顕示欲などしょせん小さく貧しいものなのだと思う。
※写真は家内の趣味の陶芸作品