便利な家が一番か?
2018年9月1日[ケヤキの見える窓辺]
わが国では国土の70%が森林でおおわれている。都会に暮らしているとピンとこないが紛れもない事実である。昔から家と言えば木造で近年になっても主流で戸建住宅に限ればその傾向は受け継がれている。そんなわけで木との付き合いは長い。
現在は省エネという観点が重要視され断熱性や気密性に配慮した家が増えてきている。人類の歴史から見れば一瞬の半世紀前の家はどうであったろうか。気密性能がない木造建具と壁や天井・屋根には断熱材が入っていないし床下もそうであったために冬の生活は今から見れば大変だったように見える。ただ実際には寒かったけど楽しいこともたくさんあり、それほど冬の寒さに困った記憶がない。
我が家では寝床にはこたつを入れていた。その準備は子供の大切なお手伝いであった。布団からでれば確かに寒かったが布団に潜ればあったかい。寝床に入るころには暑すぎるくらいだったこたつも朝方までには徐々に冷えてくる。そのような感覚は現代では味わえない。子どもには気をつけねばならないこたつの準備も今の子供たちには必要ない。スイッチのオンオフだけでことがすむ。
気密性ののない木製建具のせいで布団から出す顔には隙間風が通る。家の中は常に換気されている状態で現代の厄介なシックハウス症状にも心配することはなかった。夏は夏でエアコンもない過程がほとんどだった。通風とうちわと扇風機が唯一の頼りであった。でもどうしたら涼しくなるかの工夫は豊富であった。私の勉強スペースは西側の老化にあったが母が窓外に水で濡らしたシーツをかけてくれたことを思い出す。西日除けと気化熱による冷却された冷風を呼び込めるように。
現代は確かに便利で暮らし良くなった一面は確かに否定できないが「豊か」ということについては半世紀前の方が現代にはない確かに不便ではあったが別次元の現代では味わうことができない豊かさがあったように思う。家のなかでも外部環境の影響が大きかったので生活していくためには家族でそれ相応の自然との折り合いをつけてより快適になるように工夫していた。その中で子供にとっては学習することも多かったように思う。
現代から見れば省エネ性能の低い家に住んでいたが生活自体は今よりもっと省エネの生活を送っていた。家族で助け合って生活していくこともそのような家から自然に学べた。
こんなふうに考えると豊かさとは便利さとは別次元のものであることがよくわかる。私たちの家づくりには便利さだけが最優先もものでもない。もっと大切なことをかえって不便さの中にあることも多い。
※ 写真は竹富島の民家