聴竹居
2017年12月23日[ケヤキの見える窓辺]
昭和の初期に建てられた建築家藤井厚二の自邸が人気だ。淀川を見下ろす大山崎の山麓にひっそりとたたずんでいる。敷地は広大で大学で建築環境学を教えていた藤井先生はその実践として自宅を実験住宅として何棟か建てたらしい。
それは実験住宅ではあったが自らの家族が住まう大切な住宅でもあった。また当時伝統的な畳敷きの和風住宅が主流であったが知識階級の好む西欧式の生活との関わり方も実験されていた。いわゆる一般の西欧住宅と異なり、建築環境学から導かれた考え方を実践した過程で、あくまでも当時わが国で手に入る建築材料の特性を研究して壁材や天井材を構成している。残念ながら現代では手に入らなくなったものも多いがそこを訪れたものはわが国にも優れた建築材料があったことを理解できる。
当時は大量生産という方式は採られていなかった。材料一つ一つにも製作した職人の手の温かみを感じる。材料から醸し出す独特の風合いがある。ガラス一つとっても昔のガラス(といっても知っている人はすくなくなっているが)の風合いを懐かしむ人は多い。
家づくりにおいても腕のたつ大工が当時はいて、その中でも特に腕利きの大工を自邸の建設に雇っていたようです。優れたデザインも実践できる人がいなければ単なるアイデアに終わる。優れた才能はインフラが整備されていない時代であっても理想を追求し、実践してしまう。昭和の初期であるにも関わらず「電化住宅」を目指していた。当時の電気設備も残っていて見学したものは驚く。電気代だけで現代の金額に換算すると月20万かかったという。それらの設備も生活との葛藤の中で洗練され実践されている。
建築環境学を実践できたのにはそれを可能にする広大な敷地、財力、探究心、時代の先端を突っ走る孤独感、知的好奇心、デザイン力など持ち合わせていたからに他ならない。
設計を志すものにとり、このような先駆者が残してくれた試みは自らの仕事に生かし社会にその恩恵を還元し、またつぎの世代へと受け継いでいかねばならないと思う。
現代のような優れた断熱材や断熱設計の手法は当時はなかったので冬季は相当に冷え込んだ中での生活していたと思うが、通風や採光、夏の暑さ対策、自然との関わり方などの優れた実践住宅をこの目で確認できることは素晴らしいことだと思う。
時代に孤独な先駆者がいてその足跡を後世のものに残してくれたことを感謝しよう。私たちはその足跡を追ってその先駆者が見つめていたであろう世界に自ら一歩一歩足を踏み進んでいかねばならない。