道楽者の家
2016年4月28日[ケヤキの見える窓辺]
道楽という言葉は今では放蕩や遊蕩など否定的な意味につかわれることが多い。本来は仏道修行で得た悟りの楽しみだったといわれている。明治維新から富国強兵が国策として掲げられそのために勤労が美徳とされ、その流れで今日まできているのだろうか。道楽は「道を楽しむ」という喜びの他に「道を楽にする」という献身の側面もあるという。
また趣味人という言葉は広辞苑に載せられていないそうだ。世の中に広く使われている言葉なのになぜ載せられていないのでしょうか?理由は我が国の社会では楽しみながら生きることが許されなかった後遺症だと指摘する人もいる。
しかし現代では働くばかりではなく一方で趣味に時間を割くことが必要でそのバランスが人が人として生きる上で大切なことと唱える人もいます。
私が思う道楽者の家とは「幸福追求の権利を捨てず、おだやかに暮らすことを大切にし、自然環境を守り愛する人」の家をイメージする。欲望を肥大化させることのない家。
また「生きていることは誰かに借りをつくっていること」と先人の言葉があるが「借りを誰かに返していく生き方を選べる家」というのも私が考える道楽者の家だ。
※写真は和束の茶畑風景