「あさが来た」の時代がうらやましい!
2016年1月23日[ケヤキの見える窓辺]
NHKの朝のドラマが好調だ。私も毎日楽しみにみている。現在の私たちの生活に比べて都市ガスも電気もさらにシステムキッチンもエアコンもない、断熱性の悪い住宅が舞台だ。大阪でも上流の商家が舞台ではあるが現在の私たちの生活に比べてかなり不便な生活?に見える。しかし、決して不幸な生活ではなくわれわれに比べてもっと豊かな生活をおくっていたことがわかる。
四季の移ろいにあわせて家の建具も入れ替えたりしてその季節に合った生活をしていたことがわかる。夏には襖などが取り払われ葭簀の風通しのよい建具に置き換える。そしてその時代でも暑かったであろう夏の暑さに対応している。現在の部屋を閉め切ってエアコンに頼る形がなにか貧しい気がします。しかも熱の収支はすべて外部環境に負担させています。自分さえよければが優先されています。体調の悪い時やご高齢者はおおいに文明の利器を使ってもらって結構だと思いますが、元気で健康的な状態なのになんのためらいもなくエアコン(リモコン?)に頼るのはいかがなものでしょうか。
多忙な現代では季節に合わせて模様替えなど確かに困難だとは思います。しかしふと自分の時間にかえってみたときエアコンにたよることなく自然エネルギーの使い方を工夫したり、自分のいま置かれている環境を工夫して何らかの対処をするのは豊かなことではないでしょうか?自ら快適になるのと引き換えに熱収支を外部(地球?)に一方的に負わせるのと比べるとなぜか気持ちがよくなります。
問題はこういうことを楽しくなる家づくりがなされていないことです。季節の移ろいに鈍感にさせてしまい、季節の移ろいを楽しむことができない家が多いのではないのでしょうか。いわゆる省エネ住宅と宣伝されている家もほとんどが断熱性と導入される高性能設備機器の差別化だけで終始しているように思います。
私もブログでも繰り返し言っていますが、私たちはわが国の特異な気象環境、風土などに逆らわない柔軟な生活を受け継いできました。私たちのDNAといえるものです。確かに不便ではあったが不幸な生活ではありませんでした。
現代の家づくりにおいての問題は、単に数字で表される性能と便利さの追求だけでなく、一見みると不便な中にもそれを切り捨てるのではなくその中にある豊かさを理解できる心の余裕をもち、余裕をもって楽しむことができるという観点が弱くなっていることです。