pagetop

BLOG

blog

ぼうっとできる家と何もしなくてよい家

2018年2月10日[ケヤキの見える窓辺]

NHKの番組でタモリさんと山中教授が担当されている人体のシリーズ番組でご覧になっている方も多いと思います。その中で人間の脳は人がぼうっとしているときに広範囲に活動していてひらめきなどが起こる状態に似た活動をしているという意外な話があった。

 CIMG8142

私たちも日常的に「明日はぼうっとすごしたい」と表現したりします。そうです家でぼうっとすることは大切なんです。また「明日は家で何もしないよ」といういい方もします。両者とも脳の日常の緊張状態を開放して本来のリラックスした脳の活動を望んだ発言だといえます。日常の仕事などの緊張状態から自らを解放させたいと望まれる方がほとんどだと思います。「家でぼうっとできる」家づくりはなかなか難しいと思います。家でリラックスして過ごすというのは当たり前のようですがなかなか難しいことです。

 

「過ごす」というところが難しいのです。人間のリラックスした状態では「ひらめき」が起こりやすいという。私たちは強度の緊張状態から解放される時間を持つことは生きていくために必要だと思う。その時間が本来の人間性を目覚めさせる一瞬だと思う。私たちはマイホームで本来の人間性を取り戻し、活力を得てまた強度の緊張状態である職場に再び戻る循環的な生き方をする。

 DSCF1224

その一方、「何もしなくていい家」となるとかなりニュアンスが異なる。この流れの中に「便利な家」がある。便利というのは曲者である。便利だとリラックスした自分を取り戻せて本来の人間性に目覚めるかというと否という方が多いのではないだろうか。窓を開けたり、カーテンの調整をしたりして外部環境と自分との折り合いをつけ、リラックスした状態になるように動くことは場合によっては面倒なことでもある。リモコンの操作一つでいや、自動的に機誡が感知して人工的に環境を操作することにより「リラックスした自分」を取り戻せる状態にはできないことを私たちは知っている。リモコンや機械ができるのはある一つの設定だけである。

 

リラックスした状態では私たちは「自由」である。この自由が生と結びつくのは「選択する自由に目覚めるとき」である。それはある決められた一つの設定にすることではないのです。無意識に自由に設定することが大切なのだ。

 

一つの設定された家づくりはある意味楽である。省エネで便利という設定があるとそれに向かって行う家づくりは固定された選択をする過程があるだけだ。私たちがリラックスして行う自由な選択ではないのだ。それは成果が目に見えてあがり、他との差別化は容易だ。しかし本来の私たちにとってめざす家づくりかはとは異なる景色だ。家づくりにとって大切なことは何かと私たちは問われている。

※ 写真は家内の陶芸作品

  • ケヤキの見える窓辺
  • お問い合わせ
  • 建築家×弁護士