京都のあるうちに描いておいてください
2017年10月7日[ケヤキの見える窓辺]
いまノーベル文学賞の話題で盛り上がっていますが、表題はわが国初の同賞をいただいた川端康成の言葉です。京都は今描いておかないとなくなりますとある有名な風景画家に嘆願したそうです。その画家とは東山魁夷です。
東山魁夷の「年暮る」という作品は年末の京都の三条か御池くらいのちょっと高い地点から鴨川越しに東山方向の家並みを眺めた風景と言われているが文豪のいう残しておきたい京都の旺時の姿が描かれている。
手前には裸木の暗いシルエットがあり、その向こうに瓦屋根の家々が整然と並んでいる。京都は幾筋にも細い通りが並んでいるためである。大晦日の夜、人気は全くない。街は青い闇の中に沈んでいる。その屋根と街路ににわかに雪が降り屋根と街路を雪明りだけが静寂に満ちたこの街をぼんやりと輝かせている。
目を閉じると今もなお雪はしんしんと降り続いている。それは静かに、ひとしく、ものごとの上に柔らかく降りつもる。
明治の初め外国からやってきた異人は江戸の街の美しさに感動したそうである。個々の家の美しさではなく家々の瓦屋根がうねりのごとく続いていくその美しさであった。残念ながら現代ではこの光景は目にすることはない。街には超高層マンションが雑然と建ち並び低層の建物と調和しない。
戦災を免れた京都はあの絵が描かれたころには私たちの心に響くこの街並みと庶民の静穏な生活がまだ残っていた。
家づくりにおいてもわたしたちが残しておく、受け継いでゆくべきものがあると思う。それはわたしたち命の連鎖でつながれてきた生き方である。それは先祖が生きた時間でもある。私たちの目にするものは残念ながらその残骸しかないが、そこで先祖が生きたことを想像することはできる。その空気のような実体がないものが大切なことだと思う。そこに現代につながるヒントが隠されている。
「年暮る」という絵に込められた絵から抜け出た時間は永遠である。その降りくる雪片のごとく刻々と積み重なる時間を感じる。私たちがこれから次の命につなげていかねばならないのはこの生きた時間そのものである。