私たち日本人の過去から現在、未来へつないでいくもの
2017年9月9日[ケヤキの見える窓辺]
私たちはぽつんと現在に居るのではなく過去の命の継承を経て今ここにいます。家づくりも同じです。私たちの生き方が突然変化しないかぎりそういう流れで継承していかれるものだと思います。
世界にも例のない恵まれた気候風土に暮らしてきた日本人は、自然と共に生活することがよいことで、不自然なことは悪いことだと考えてきた。住居にしても壁は少なく西欧の厚くて重い質感のある壁に比べて極端に薄くて軽い、開放性を好み、室内に閉じこもることを善しとしない習慣があった。
私はこのような習慣の上につくられた生活や生き方が融通無碍の精神を育み、社会に安定をもたらし、さらに学問の世界や芸術の世界などに世界に劣らない感性豊かな成果をあげてきたのではないかと思う。
私たちはちょっと前まで世界一の省エネな生活を送っていたことを忘れてはならないと思う。確かに現代から見ると貧しい生活かも知れないが誰も決して不幸だとは思わなかった。
生活が豊かになったと言われる現在は本当に私たちは幸福なのだろうか?
現代に私たちが目や耳にする様々な事件も私たちがいままで受け継いできたよき習慣や生き方をないがしろにしてきた結果なのかも知れない。とくに家づくりにおいては根本が揺らいでいると思う。以前のブログで述べた気密の話も一過性の省エネにはつながるかもしれないが果たして私たちの幸福にはつながるものだろうか?
自らの快楽のために部屋を閉め切り、気密性を高め熱の出し入れの収支を外部に放棄する身勝手な生き方で果たして幸福だろうか?自らは省エネでも個を離れて地球全体で評価するとそんな生き方は許されるのだろうか?文明の利器はお年寄りや体の弱い人には必要でどんどん使えばいいと思うが健常者はむやみやたらに使うのではなく、何らかの抑制があってしかるべきと思う。
私たちには自然に備わっていたよき習慣も現在はかなり乱れていると思う。家づくりにおいては家は幼い命を育んでゆく器となるのでその根本のところはしっかりと押さえておかねばならないと思う。
※ 写真は神鍋高原の夏風景