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省エネと便利さだけでは生きられない!

2014年3月24日[ケヤキの見える窓辺]

われわれとロボットやコンピューターとの違いは、後者は時間の中で生きていないということではないだろうか。ただわれわれも油断していると後者のような立場に陥る。

 家づくりにおいても「省エネ」と「便利さ」を前面に掲げたものが多い。その理由は具体的な数字をあげて説明しやすく消費者に納得させやすいからではないだろうか。気が付いてみると省エネの数字と便利さだけで住まいを選択していないだろうか。

住まうこととかけ離れた尺度でしか選択していないのはまことに貧しいことだと思う。省エネ基準で示された数字はあくまでも家のある仮定した指標に基づいて算出された数字でわれわれが住まうこと—生きることとには必ずしも直結したものではない。むしろ本当に大切なことを見えにくくしているのではないだろうか。

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例えば私が主張する「住応えのある家」というものは決して数字では説明できないものなのだ。われわれが住まう—生きるということも同じだと思う。住応えというのはわれわれが生きる—時間の中に生きるということに直結しているものである。

 時間は生命が選択の自由に直面するとき、眠りから醒めるという言葉があるように住まいというものはわれわれの生き方を常に自由に選択できることが大切である。今日のこの時間(いま)の過ごし方を自由に選択できること。空調機のON-OFFの選択だけではなく日射や窓の開閉やガラリ戸や障子の開閉や居室に接続させた外部との環境調整空間をうまく使って自らの求める快適さを選択する自由が大切だと思う。

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 省エネや便利さをないがしろするのではなくそれしかない現状が貧しいと思う。私が高級住宅というのはさきほどからいうように「住応えのある住宅」、「自らの住まい方を柔軟に選択できる家」だと思う。決して高級な材料や高級な機器を使っている家だとは考えていない。

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※写真は家内作の花入れに庭の野草などを生けたもの

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