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あえて面倒くさいことができる家

2017年4月1日[ケヤキの見える窓辺]

こんなタイトルにしたのも「あえて面倒くさいことができる家」が少なくなってきているからである。わが国は伝統的な「おもてなしの精神」を訴えて東京オリンピック誘致に結び付けたが、この「おもてなしの精神」に代表される我が国の伝統文化は現代から見るとすべて「面倒くさい努力の積み重ね」であることがわかる。

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わが国は「面倒くさいことは嫌いだ」を国是?として便利なもの—-自動販売機、コンビニ施設設置に血眼になってきた。一方フランスなどは面倒くさいことを省いてばかりいると人間は堕落するという西欧カトリックの精神「狭き門より入れ」に触れる恐れがあるというのでわが国にある自動販売機やコンビニなど便利施設が極端に少ない。

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「おもてなし」などは情緒のうけこたえで成り立っている。情緒は便利なものからは決して生まれない、不便なものから生まれることが多い。

 

わが国の気候は四季があり変化に富んで豊かな環境にあるが、夏の暑さや冬の寒さは厳しいものがある。暑い時や寒い時は敢て頭と体を使って体に合わせて自らの住み心地をよくする工夫ができる楽しみは持っておきたい贅沢である。

 

現在は暑い時や寒い時には窓を閉めてひたすらエアコンに頼るしかできない家が多いのではないだろうか?それはリモコンひとつで室内環境をコントロールできるので便利ではあるが何か貧しいものを感じるのはなぜか?ひたすら壁や窓の断熱性能を数字で上げることで他と差別化することしかできないある意味お寒い競争である。

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私たちは今生きているのは先祖から命の継承を経ているからで私たちの身体には先祖から受け継いできたDNAがある。先人たちの暮らし方や生きることへの工夫など恐ろしい年月をかけて築かれ磨かれてきた財産である。それは一方でわが国固有の文化を育ててきた。私たちはこの遺産を受け継いでまた自分たちの暮らし方や生きることへの工夫などを加えて次世代にバトンタッチしていくことになる。

 

私の生業は「家づくりのお手伝い」であるがこの仕事を通してやはり伝統を守っていきたいと考えている。伝統を無視して「便利さ」という文明の利器だけで「家づくりのお手伝い」をするつもりはない。体調が悪い時やお年寄りなど弱者はこの「文明の利器」を大いに利用していけばよいと考えている。「あえて不便」ということは情緒の生まれるきっかけになるし「あえて面倒くさい」ことは人間のもつある意味贅沢な楽しみであることは忘れてはならないと思う。

※ 写真は高山の店の緑の演出風景

 

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