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わが国の伝統木造建築の耐震性について

2014年10月21日[ケヤキの見える窓辺]

わが国の伝統木造建築についてあいまいな見解が流布している。日本独自の伝統工法が大地震に耐えうるという見解である。先日ある民家を見学したときにも地震が話題になったが我が国の民家の工法は独自のもので地震に対しては強いので耐震改修はいらないという専門家の意見も出た。私はこれには反対である。確かに地震に対しても五重の塔など無傷のものもあるがそれは例外である。とくに住宅については現代の改良された耐震技術は実績に裏付けられた優れものであると思う。

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関東大震災で唯一無傷で残った建築物は上野の寛永寺の五重の塔であった。このことが鉄骨の柔構造理論のヒントになったといわれている。

 

 これで伝統的な木造建築は地震に強いという間違った印象を与えがちである。寛永寺も関東大震災では五重の塔以外の建物は壊滅的被害を受けている。鎌倉では建長寺は49の塔頭等があったが、その大部分を失い、現在15の塔頭、仏殿、唐門、昭堂(礼堂)を残すのみである。円覚寺も仏殿、舎利殿もペチャンコに倒れ、仏殿は鉄筋コンクリート造で再建され、舎利殿は元の木造で再建され、わが国最古の禅宗建築として国宝となっている。

 鎌倉の大仏さんは海岸から800mもあるのにそれ以前の明応7年の地震による大津波で大仏殿が流失してしまって現在の姿になっている。

 

 阪神大震災は記憶に新しいのでご存知だと思うが社寺も酒倉も木造の洋風の建築も軒並み倒壊した。生田神社は社殿が完全に倒壊してしまい、現在は柱を鋼管コンクリート柱とし、柱と屋根の接合部も木材から鋼鉄製の鋳物替え、耐震強度を増して伝統様式で再建されている。このように、古くから残っている木造建築の寺院や神社は、地震に対して強いから残っていると思われがちであるが、実は大きな地震に遭っていないか、あるいは地震で潰れても再建や修復されて今日まで残っている。

 

 

 余り知られていないが東大寺大仏殿や南大門も鉄骨造に近づいている。東大寺大仏殿は世界最大の木造建築物として知られているが、現在のものは江戸時代に建てられた3代目で、明治39年の大修理では天井裏の見えないところの小屋組みの要所にイギリス製の鉄骨トラスを組み込んで補強されている。また南大門も昭和初期に坂静雄(京都大学教授)の指導により、挿肘木(柱を貫通して屋根の軒を支える梁の一種)のうち、内部に貫通した上下3本を二つに割り、ビルトアップ(幾重にも重ねること)によるH形鋼を組み込んでいる。さらに貫通の柱に、柱を締め付ける鋼製バンドを設け、そのバンドにブラケットをつけて挿肘木を固定している。その結果、軒先が下がって崩れ落ちそうになっていたのが修理され、現在の優美な姿を取り戻したそうである。

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 私が数年前の秋に見学した唐招提寺も耐震改修が行われていた。1200年の歴史があり、世界文化遺産でもある唐招提寺金堂は、軒先の瓦や葺き土の長年の重みにより、柱の内倒れと組物の変形が起こり、そのため軒先の垂れ下がりを防ぐ構造補強のため2000年より解体修理が行われている。

 

 古い建築物で唯一、塔だけが地震で倒れた事例がない。しかし、塔が地震に強いといっても、台風では倒れている。大阪四天王寺の江戸時代に建てられた五重の塔も1934年の室戸台風で吹き飛ばされその下敷きになって3人の死者がでている。現在は鉄筋コンクリート造になっている。なお、この室戸台風では、大阪市内の明治時代に建てられた木造小学校校舎44校が全部倒壊してその下敷きで2300人もの児童が死傷した。

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さて、話を現在にもどし、統計では震度5では古い木造家屋はもつが、震度7になると30%以上もの家屋が倒壊している。このことを踏まえて1981年に新耐震基準が生まれ震度7でも倒壊しなくなっている。このことは阪神大震災で証明されている。

 

 

 

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